2006年1月2日月曜日

485系1000番台 急行きたぐに

帰省していたのですが、3日から大荒れになるという天気予報を聞いて、予定を切り上げて帰ってきました。今回使った列車は新潟と大阪を結ぶ 502M 寝台急行きたぐに号です。車両は 583系電車です。今回、3段寝台を初体験!と意気込んでいました。北陸に住んでいたので 583系からの改造車である 419系には飽きるほど乗っていましたが、583系に乗った経験はわずかに数回、それも新津-新潟間の快速扱いの区間だけです。

新津発の時間は 23:10 、しかし、新津駅に着いたとたんに「車両故障のため運転の見通しが立ってない」旨を告げられました。なあーに、何とかなるさ、と楽観的に考えてコンビニで寝酒を買い込んで戻ってくると、どうも修理を断念したらしく「代わりの編成を用意する」などと言っています。上沼垂電車区に、583系の代わりになる車両があろうはずもありません。どうも荒唐無稽なことを言っているなー、と思いつつも待っていました。23:50 には寝台特急日本海がやってくるはずなのですが、こちらも羽越線の脱線事故を受けて運休となっていて、頼みの綱は「きたぐに」だけです。

大阪まで走るのですから、少なくとも B無線、ATS-P を搭載していて、直流区間と 60Hz の交流区間を走れる車両…となれば、自ずから 485系かなぁ…、大してリクライニングのきかない昼行特急用の椅子に座ったまま大阪まで乗せる気なのかいな…。まさか故障している 583系を仮復旧して EF81 で牽引か、など色々と妄想を巡らせるうち、ようやく代わりの車両の手配がついたのは 24:00 をまわった深夜のことでした。新津に 485系1000番台を使った「急行きたぐに (全車自由席扱い) 」がやってきたのは 25:20 頃でした。4人分のシートを占領してベッドを仮設し、寝るように努力をしますが、まあ無理な体勢でそうそう寝られるものではありません。長岡、富山、武生に止まったのは鮮明に覚えています。上の写真は京都駅にて撮影しました。

それにしても、485系の上沼垂色が関西方面に乗り入れたのは本当に久しぶり、まして米原に姿を見せたのは相当な珍事です (かつて特急白鳥や雷鳥の運用に就いたことはあるが、これらの特急は湖西線経由で米原は通らない) 。そんな貴重な体験で、しかも馴染みの地元の車両で関西へ乗り付けたのは、特別列車に乗っている気分でした。で、ATS-P は付いてたのかって? それは…(汗)