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2011年7月5日火曜日

金沢以東の特急廃止へ JR西

金沢以東の特急廃止へ JR西(新潟日報・2011年 7月 5日)

分かっていたこととは言え、公式発表が出ちゃうと残念な気持ちでいっぱいです…。

新潟県にとっての一番の問題は、直江津−柏崎−長岡間の移動と、北越急行の経営です。加えて、信越山線、北陸本線が経営分離された後の受け皿会社の問題もあります。北越急行と一体にしろと何度も言ってきたのに、それもやる気のない新潟県。一体にしておけば、指令機能の一元化、相互直通による旅客の利便性、予備車両の共通化など厳しい経営を少しでもカバーできるメリットが多いとのに…全くもって理解できません。

新潟県出身者として、あの県職員どもの縄張り意識と前例踏襲主義は本当に情けない限りです。

2009年7月6日月曜日

大宝八幡宮のあじさい

大宝八幡宮に行ってきました。この時期、大宝八幡宮はあじさいが咲いています。関東鉄道常総線に乗り鉄の際は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

2006年10月1日日曜日

番外編: 東海道貨物線

乗り鉄番外編です。ひょんなことから東海道貨物線を乗り鉄してしまいました。東海道貨物線は小田原駅から併走する別線に入り、東戸塚駅あたりから旅客線と別れ、横浜羽沢駅を通って鶴見駅に行き、品鶴線に入ります。貨物線ですから定期の旅客列車はあろうはずもありません。

その日、私が大阪駅に着くと、守山駅構内で人身事故によりダイヤが乱れている旨、駅のアナウンスで告げられました。私が乗り込む 5032M サンライズ出雲は定刻通り大阪駅にやってきました。守山駅と言えば、前途区間の駅であり、影響を受けるのは避けられません。しばし走行。鉄道無線が何やら騒がしくなって、我が 5032M は走行・停車を繰り返しています。車掌さんも対応に追われたのか、きっぷを見にきたのが随分と遅かったです。検札も済んでとりあえず就寝。寝台特急はダイヤに余裕があるから何とかなるだろう、その時はその程度に思っていました。

よく朝、案内放送で目が覚めました。6:00 静岡駅です。「只今 1時間20分ほど遅れて走行中です。東京方面へお急ぎのお客様は、静岡駅から新幹線こだま号へ振替え乗車の手配を…。」何人かの人が新幹線に乗り換えたようですが、それほど急いでいない私は、当然そのまま乗ります。寝台特急はたとえ遅れても、そのままベッドの中に居ればいいので、何も苦痛はありません。

7:35、5032M は熱海駅まで歩を進めました。ここで 5032M は通勤の列車群への影響を避けるべく、東海道貨物線 (および品鶴線) 経由で運転、品川駅で運転を打ち切る旨が伝えられました。通勤の各駅停車に阻まれて、5032Mはノロノロ運転で進みます。貨物線は横浜駅を経由しないため、横浜駅で下車予定の人は小田原駅で降ろされました。すっかりミステリー列車と化した 5032M は、小田原からは貨物線に入ったため急に速度が上がり、快調に走り始めました。特急券払い戻しになるかどうかの瀬戸際です。払い戻しを避けられるか、微妙な状況になってきました。が、しばらくして防護無線発報、付近の列車が一斉に停車し、我が 5032M はとどめを刺され、2時間延着となりました。閑散とした品川駅臨時ホームに入線しました。

で、肝心の東海道貨物線ですが、東戸塚を過ぎるとすぐにトンネルに入り住宅地の地下を行きます。横浜羽沢駅前後が地上区間、再びトンネルに入り、再び地上に出るとすぐ鶴見駅です。乗り鉄するにはあまりおもしろい区間ではありません。それでも、いかにも貨物駅らしい横浜羽沢駅、すっかり朽ち果てた DE15 や DE10 が放置されていたり、カメラを持ってなかったのがちょっと残念でした。

2006年1月2日月曜日

485系1000番台 急行きたぐに

帰省していたのですが、3日から大荒れになるという天気予報を聞いて、予定を切り上げて帰ってきました。今回使った列車は新潟と大阪を結ぶ 502M 寝台急行きたぐに号です。車両は 583系電車です。今回、3段寝台を初体験!と意気込んでいました。北陸に住んでいたので 583系からの改造車である 419系には飽きるほど乗っていましたが、583系に乗った経験はわずかに数回、それも新津-新潟間の快速扱いの区間だけです。

新津発の時間は 23:10 、しかし、新津駅に着いたとたんに「車両故障のため運転の見通しが立ってない」旨を告げられました。なあーに、何とかなるさ、と楽観的に考えてコンビニで寝酒を買い込んで戻ってくると、どうも修理を断念したらしく「代わりの編成を用意する」などと言っています。上沼垂電車区に、583系の代わりになる車両があろうはずもありません。どうも荒唐無稽なことを言っているなー、と思いつつも待っていました。23:50 には寝台特急日本海がやってくるはずなのですが、こちらも羽越線の脱線事故を受けて運休となっていて、頼みの綱は「きたぐに」だけです。

大阪まで走るのですから、少なくとも B無線、ATS-P を搭載していて、直流区間と 60Hz の交流区間を走れる車両…となれば、自ずから 485系かなぁ…、大してリクライニングのきかない昼行特急用の椅子に座ったまま大阪まで乗せる気なのかいな…。まさか故障している 583系を仮復旧して EF81 で牽引か、など色々と妄想を巡らせるうち、ようやく代わりの車両の手配がついたのは 24:00 をまわった深夜のことでした。新津に 485系1000番台を使った「急行きたぐに (全車自由席扱い) 」がやってきたのは 25:20 頃でした。4人分のシートを占領してベッドを仮設し、寝るように努力をしますが、まあ無理な体勢でそうそう寝られるものではありません。長岡、富山、武生に止まったのは鮮明に覚えています。上の写真は京都駅にて撮影しました。

それにしても、485系の上沼垂色が関西方面に乗り入れたのは本当に久しぶり、まして米原に姿を見せたのは相当な珍事です (かつて特急白鳥や雷鳥の運用に就いたことはあるが、これらの特急は湖西線経由で米原は通らない) 。そんな貴重な体験で、しかも馴染みの地元の車両で関西へ乗り付けたのは、特別列車に乗っている気分でした。で、ATS-P は付いてたのかって? それは…(汗)